建 学 の 理 念
学校法人駒澤大学の建学の理念
駒澤大学高等学校 建学の理念「信誠敬愛」「行学一如」
本校は駒澤大学と同じく、仏教の教義ならびに曹洞宗立宗の精神に則り、学校教育を行って
います。建学の理念も駒澤大学と同じく、「信誠敬愛」「行学一如」を掲げています。
「信誠敬愛」 信…教えを信じ、また自らを信じること。
誠…信念に基づいて誠実に努めること。
敬…自分自身と他者の尊厳を明確に意識し尊重すること。
愛…慈愛の心を持って自己の学びを周囲へ還元していくこと。
「行学一如」 行学…自らを高めるための学び(学)と、
慈しみの心をもって積極的に社会に活かしていく実践(行)。
一如…一体であって別のものではないこと。
仏教
仏教は、仏陀の教えであり、仏陀になるための教え、そして仏陀として生きるための教えです。仏陀という名称は古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)または巴語(パーリ語)で、悟った者を意味するブッダの音写です。日本語では仏とも呼びます。具体的には、この世界の真理である縁起を悟って、慈悲と智慧を円満に具えた理想的な人格者を意味します。慈悲とは縁起に基づいて見返りを求めずに他者を思いやること、智慧とは縁起に基づいて善悪をわきまえて正しく生きることです。慈悲も智慧も、誰もが生まれながらに本来持っている仏の心であることから仏心、または仏の性質や仏となる可能性という意味で仏性とも言います。つまり仏教とは、自分自身の仏性を自覚して慈悲と智慧を発揮し、他者の仏性を認めてお互いの存在を尊重し合う生き方の実践です。そこから仏教は慈悲と智慧の宗教とも呼ばれます。そんな仏としての生き方を示されたのが仏教の開祖であるお釈迦さまです。お釈迦さまは、梵名ガウタマ・シッダールタ(巴名ゴータマ・シッダッタ)といい、紀元前五世紀頃の人物で、仏陀とはこのお釈迦さまの尊称です。お釈迦さまの教えである仏教は、人類共通の普遍的な真理として、世界中の人々に受け入れられ、それぞれの国の文化や習慣と共存しながら、様々な宗派が存在していますが、全ての仏教徒に共通する信仰の対象は仏法僧の三宝【※1】です。
【※1】三宝…全ての仏教徒にとって共通の信仰の対象である、仏陀(仏)と、仏陀の教え(法)と、仏陀の教えを守り伝える者(僧)。
曹洞宗
曹洞宗は、禅の修行を中心とする宗門です。禅とは、日常の全てを仏道として全うすることであり、仏の生き方を実践することです。この禅の教えはお釈迦さまに始まり、二十八祖の菩提達磨によってインドから中国へと伝えられました。その後も師から弟子へと以心伝心で脈々と伝わり今日に至ります。禅は梵語ディヤーナまたは巴語ジャーナの音写である禅那の略語で、身心を安定させて調えることを意味します。つまり、自らの身心を仏の身心として調えることです。坐禅は、身を調え(調身)、息を調え(調息)、心を調え(調心)、仏として生きるための基本となる修行です。お釈迦さまは坐禅によって仏陀となり、仏陀として生涯にわたり坐禅を修行されました。それにならい曹洞宗ではお釈迦さまと同じくただひたすら坐禅すること(只管打坐)を大事にしています。あてもなく坐禅するのではなくて今ここで仏として坐禅すること、いつか悟るために修行するのではなくて仏として修行すること自体が悟りそのもの(修証一等)であるということです。曹洞宗の名称は中国の二人の有名な禅僧の名前に由来します。曹は中国禅の大成者である曹渓慧能から、洞は中国曹洞宗の開祖である洞山良价から名づけられました。お釈迦さま、菩提達磨、曹渓慧能、洞山良价、これらの祖師たちの流れを汲んだ禅の教えを、鎌倉時代に日本に伝えられたのが道元禅師であり、その禅の教えを曹洞宗として日本に弘められたのが瑩山禅師です。曹洞宗では、お釈迦さま(仏陀)と、道元禅師(高祖=教えを伝えた祖師)と、瑩山禅師(太祖=教えを弘めた祖師)を、一仏両祖(三尊仏)の御本尊として敬慕しています。
三事を調える
- 調 身 (身を調える)
- 調 息 (息を調える)
- 調 心 (心を調える)
駒澤大学高等学校の各教室の正面に掲げられているこの書は、第四代校長の上野慧賢先生の筆によるものです。この三つの言葉は、坐禅を体系化した天台智顗【※1】が説いた坐禅の心得です。 【※1】天台智顗(五三八~五九八)…坐禅を止観として体系化し、一切経の教えを五時八教に整理して、その後の仏教思想に多大な影響を与えたので東土の小釈迦とも称され、隋の煬帝から智者の称号を賜ったので智者大師、また天台宗の開祖なので天台大師と称される。道元禅師も古今冠絶の人物として崇敬した。
行学の心得る得の学べ行く
一、気力を旺盛にし集中力を高めよう
二、目標を定め日々時々の努力を続けよう
三、自らを信じ自らを厳しく律しよう
四、師友を敬愛し礼儀正しくしよう
各教室の正面に掲げられているこの四つの「行学の心得」は、第六代校長の若林元典先生の訓示です。また1966年創部の本校の吹奏楽部は、若林校長から授かった部訓である、「練磨は栄光への王道也」(日々の地道な練習の積み重ねが必ず大きな成果となって表れるという意味)を今も大切に活動しています。吹奏楽部の皆さんは「美しいもの・整ったものへの感性を磨く」「練習場所への感謝」という意味を込めて、日々の練習以外にも、毎月の「全校舎清掃」、年間二度の「地域清掃」を行っています。
礼拝
礼拝は、合掌して(両手を合わせて)低頭する(頭を下げる)ことで、相手に最上の敬意を表す仏教の作法です。もともとは古代インドの挨拶でしたが、今日でも仏教国を中心に礼拝の文化は伝えられています。本校では全校集会の法要や、校内各所にお祀りしている仏さまを拝む際など、礼拝の機会が多くあります。右手は仏、左手は己を表し、それが一つとなった合掌は自己の仏性が表れた姿です。また相手に礼拝することは、相手の仏性を認めて尊重し、相手を決して軽んじないという仏教の精神を表します。
校内の仏さま
〇観世音菩薩 … 玄関の観音堂
〇文殊師利菩薩 … 屋上の坐禅堂
〇釈迦牟尼仏・道元禅師・瑩山禅師 … 体育館の壇上
〇地蔵菩薩 … 職員室前の中庭
〇韋駄天 … 調理実習室
〇烏枢沙摩明王 … 新館のトイレ
〇白山妙理大権現 … 宗教科研究室
南無
南無とは、梵語ナモの音写で、帰依や帰命頂礼とも漢訳され、相手への最上の尊敬を表し、また相手と自分とが一つであることを意味する言葉です。仏教徒の祈りの言葉として用いられ、宗派を問わず、仏法僧の三宝を始めとして、礼拝する仏像や経典や祖師の名称に冠して「南無〇〇」という形式で唱えられます。インドやネパールの挨拶として知られる「ナマステー」や「ナマスカール」も意味は相手への敬意を表し、語源は「南無」と同じです。
各宗派の主なお唱え
〇南無釈迦牟尼仏 … 曹洞宗・臨済宗 意味=釈迦牟尼仏に帰依します
〇南無阿弥陀仏 … 天台宗・浄土宗・浄土真宗 意味=阿弥陀仏に帰依します
〇南無妙法蓮華経 … 天台宗・日蓮宗 意味=『妙法蓮華経』(『法華経』)に帰依します
〇南無大師遍照金剛 … 真言宗 意味=弘法大師(空海)に帰依します
〇南無三宝 … 各宗派共通 意味=三宝(仏法僧)に帰依します
〇南無観世音菩薩 … 各宗派共通 意味=観世音菩薩に帰依します。
校門拝礼
本校では登下校の際に校門で学校に向かって拝礼(一礼)をします。これは校内各所にお祀りしている仏さまへの礼拝の意味と、行学を通じて自分自身を育てる修行道場でもある学校という環境と、同級生や先輩後輩を含めて、そこで役割を果たしている様々な立場の人々への礼儀を表す意味があります。
仏教専修科
曹洞宗の僧侶を養成する学校でもある本校ならではのコースで、所属する生徒を宗内生と言います。普段は一般の生徒と同じくクラスに在籍していますが、放課後は坐禅堂において、仏教のより専門的な学習、僧侶としての修行を行っています。主な活動としては、学校の仏教行事の運営、仏教主義学校連盟の諸行事への参加、祖跡巡拝(京都・北陸・その他)などを通じて、仏教と曹洞宗への理解を深めます。将来、曹洞宗の僧侶になることを志望する生徒は、在学中に所定の修行を修了すれば卒業時に資格が取得できます。また、駒澤大学には仏教学部があるため、本校で仏教に興味を持ち、仏教をより深く学んでみたいという、僧侶ではない一般生徒も宗内活動に参加することができますので、仏教の授業の担当教員に直接お問い合わせください。
食事訓
本校では、四時間目の終了後、全校放送に合わせて『五観の偈』を唱和してから昼食を頂きます。食べることは生きることに直結しています。また、食べ方は生き方にも通じることから、仏教では食事をすることも大事な修行の一つなのです。
『 五 観 の 偈 』
一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
この食事が出来上がるまでの経緯に思いを馳せて、
様々な人々の働きや食材となった生命に感謝して
いただきます。
二つには己が徳行の、全欠を忖って供に応ず。
この食事をいただくのに値するような、
正しい生き方ができているかどうかをよく反省してから
いただきます。
三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。
この食事によって仏道の修行に励み、
煩悩の三毒(貪欲・瞋恚・愚癡)を鎮めるために
いただきます。
四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。
この食事は身心の健康を保つことが目的であり、
暴飲暴食をせずに本当に必要な分だけを
ありがたくいただきます。
五つには成道の為の故に、今此の食を受く。
この食事を通じて仏道を達成することを理想とし、
私の生き方が生きとし生ける者の功徳となることを願っていただきます。
『典座教訓』道元禅師
法要
( 二 祖 三 仏 会 ・ 真 前 報 告 )
- 四月 降誕会(はなまつり)、真前報告(入学式)
- 七月 盂蘭盆会(みたままつり)
- 九月 両祖忌
- 十月 達磨忌
- 十二月 成道会
- 二月 涅槃会
- 三月 真前報告(卒業式)
導師(駒澤大学総長) 侍者(駒澤大学職員)
法要配役(駒澤大学高等学校仏教専修科)
法要差定
( 曹 洞 宗 「 本 尊 上 供 」 )
一、 導 師 入 堂
一、 本 尊 礼 拝
一、 献 香 献 花
一、 拈 香 法 語
一、 普 同 三 拝
一、 般 若 心 経
一、 回 向
一、 普 同 三 拝
一、 導 師 退 堂
一、 本 尊 礼 拝
はなまつりの言葉
桜の花が咲き誇り、私たちは今年も花祭の日を迎えました。この花祭は、お釈迦さまのお誕生をお祝いするための法要です。今から約二千五百年程前の古代印度で、迦毘羅城を治める釈迦族の悉陀太子が、藍毘尼の花園に誕生されました。その人こそ、後に出家して悟りを開き、仏陀となられたお釈迦さまです。今日、この花御堂の中にお祀りされたお釈迦さまのお誕生のお姿は、右手で天を指し、左手で地を指しておられます。これは「天上天下唯我独尊」、つまり私たちは誰もがすばらしい仏の心を持っている、というお釈迦さまの教えを表しています。人は皆、他者を思いやる慈悲の心と、正しく生きる智慧の心を持っています。この慈悲と智慧は、私たちに本来具わっている仏の心です。その仏の心を発揮して、慈悲を行い、智慧を学び、仏の自覚をもって生きることが大事なのだとお釈迦さまは示されました。本日、花祭の法要を行い、お釈迦さまのお誕生をお祝いして、その徳を称え、その教えを思い出して、私たちは心を新たに致します。そして、仏教を建学の理念とする駒澤大学高等学校の生徒として、日々の生活の中で、慈悲を行い、智慧を学び、仏の生き方を実践する行学一如を体現していくことを、仏・法・僧の三宝の御前に誓います。
みたままつりの言葉
青葉の美しい季節となり、私たちは今年も御霊祭の日を迎えました。お盆が近づくにつれ、関わりのあった今は亡き人々が懐かしく思い出され、特に新盆を迎える方には故人への想いが一層募ることと思います。このお盆の行事は、お釈迦さまの弟子の目連尊者が、亡き母の冥福を祈る方法を、お釈迦さまに尋ねたことに由来します。お釈迦さまは「あらゆる存在の幸せを願う修行僧たちの、修行の期間が明ける七月十五日に、真心を込めて食事を供養して、その善行の功徳を亡き母の冥福のために回向してもらいなさい。」と目連尊者に説かれました。私たちはこのように亡き人に代わって徳を積み、その功徳を亡き人へと手向けて、冥福を祈ることができます。今を生きる私が善い行いをすることは、そんな私をこの世に送り出すために過去に存在した全てのご先祖さま方にとっても功徳となるのです。この追善供養の教えからお盆の習慣が始まりました。お盆を迎えるにあたって、私たちの背景には今は亡き大勢の人々が存在したことに想いを馳せ、感謝の祈りを捧げます。そして、仏教を建学の理念とする駒澤大学高等学校の生徒として、日々の生活の中で、慈悲を行い、智慧を学び、行学一如を体現していくことを、仏・法・僧の三宝の御前に誓います。
法 要 の 由 来
はなまつり(降誕会・灌仏会・仏生会)
はなまつりは、お釈迦さまの誕生を祝う法要です。日本では、ちょうど桜の花の季節であるため花祭と呼ばれますが、正式には降誕会・仏生会・潅仏会とも言います。お釈迦さまは藍毘尼園(ルンビニーの花園)の無憂樹(アショーカの樹)の下で四月八日に誕生されました。仏伝では、生まれたばかりのお釈迦さまが、「天上天下唯我独尊」と唱えると、龍が天から甘露の雨を降らして祝福したといいます。その伝説にちなみ、はなまつりでは花御堂の中に誕生仏の仏像をお祀りし、甘茶を潅いでお詣りします。法要後、本館玄関ロビーに花御堂が設置されますので、お釈迦さまの誕生仏に甘茶を潅いでご参拝ください。
みたままつり(盂蘭盆会)
みたままつりは、今は亡き有縁無縁の人々の冥福を祈るための法要です。一般にはお盆と呼ばれていますが、正式には盂蘭盆会と言います。盂蘭は梵語オーダナ(ご飯)の口語オーランの音写で、盆は食事を盛る食器のことです。盂蘭盆会は、お釈迦さまの弟子の目連尊者(マウドガリヤーヤナ)が亡き母の冥福を祈る方法をお釈迦さまに尋ね、夏の安居(修行)が終わる七月十五日に仲間の修行僧たちに食事を供養して、その善行の功徳を亡き母の冥福のために回向してもらった追善供養の故事に由来します。法要後、本館玄関ロビーの観音堂でお焼香できますので、有縁無縁の御霊を偲んでご自由にご参拝ください。
両祖忌
両祖忌は、日本の曹洞宗の高祖・道元禅師と太祖・瑩山禅師の両祖さまのご命日を偲ぶ法要です。道元禅師は建長五年(一二五三)八月二十八日に、瑩山禅師は正中二年(一三二五)八月十五日に示寂されましたが、どちらも太陽暦では九月二十九日になるので、この日を両祖さまのご命日として、曹洞宗の寺院では両祖忌の法要が営まれます。
達磨忌
達磨忌は、達磨大師のご命日を偲ぶ法要です。達磨大師は梵名ボーディ・ダルマと言います。お釈迦さまから二十八代目の祖師で、インドから中国へと渡ってお釈迦さまの坐禅を伝えました。中国では禅宗の初祖とされ、円覚大師菩提達磨大和尚と称されます。嵩山少林寺での面壁九年(九年間ひたすら壁に面して坐禅を修行したこと)の逸話は有名です。達磨大師の禅の教えは壁観と呼ばれ、黙々と壁に向かい、ただひたすら坐禅すること、つまり理屈を作って自己主張したり、他人の評価に振り回されたりせずに、今すべき正しいことをただ黙って実行することが、仏道修行においては何よりも大事であることを示しています。
成道会
成道会は、お釈迦さまが悟った日を祝う法要です。お釈迦さまは、仏陀伽耶(ブッダガヤー)の菩提樹(アシュヴァッタの樹)の下で身心を調えて、十二月一日から八日の明け方にかけて坐禅をして仏陀となりました。仏伝では、お釈迦さまは悟った時に大地に触れて「我と大地と有情と同時に成道す」と述べたと伝わります。これはお釈迦さまが究極の真理である縁起を悟って人生の苦を克服したことを示しています。お釈迦さまはその後、鹿野苑(サールナート)で初転法輪(最初の説法)を行い、そこから仏教が始まったのでした。
涅槃会
涅槃会は、お釈迦さまのご命日を偲ぶ法要です。涅槃とは梵語ニルヴァーナの音写で、火が吹き消された状態を意味します。そこから、煩悩の火が消えた悟りの状態、またはお釈迦さまの命の火が消えて亡くなったことを意味するようになりました。お釈迦さまは最期の遊行(修行の旅)の途中で「自帰依 法帰依」を説くと、純陀(チュンダ)の食事の供養を受けた後、拘稀羅城(クシナガラ)の、四方に沙羅双樹(二本のサーラの樹)が生えた場所で最期を迎え、嘆き悲しむ弟子たちに「八大人覚」の教えを遺して二月十五日の夜に入滅されました。
臘八摂心
臘八とは臘月(十二月)の八日間のこと、摂心とは心を摂めて坐禅することです。お釈迦さまが十二月一日から八日にかけて、菩提樹の下で坐禅をして「縁起」を悟り、成道(修行と悟りを成就)されたという故事にちなみ、日本の禅寺では、毎年、この時期に八日間の坐禅と成道会の法要を修行します。駒澤大学高等学校でも、それにならって全校生徒と全教職員の希望者を対象に、毎年、十二月の最初の一週間、有志の仏教専修科の卒業生や曹洞宗寺院および曹洞宗総合研究センターの僧侶の方々のボランティアのもと、体育館で臘八摂心を修行しています。
本山拝登
曹洞宗の大本山は、道元禅師が開かれた永平寺と、瑩山禅師が開かれた總持寺です。駒澤大学高等学校では、毎年、本校の原点でもあるこの両大本山を拝登して、両祖さまに参拝し、禅の修行を体験します。両大本山には、全ての生きとし生ける者の幸せを日々祈りながら、俗世を離れて厳しい修行に励んでいる雲水(禅寺の修行僧)の方々が実際におられます。その中にほんの一時お邪魔させて頂くのだということを忘れず、また私たちを善意で受け入れて下さっていることに感謝して、真摯な気持ちで本山拝登に臨みましょう。