学校行事
2025.01.20
法 要 の 由 来
は な ま つ り ( 降() 誕() 会() ・ 潅() 仏() 会() ・ 仏() 生() 会() )
はなまつりは、お釈迦()さまの誕生を祝う法要です。日本では、ちょうど桜の花の季節であるため花祭()と呼ばれますが、正式には降誕会()・仏生会()・潅仏会()とも言います。お釈迦さまは藍毘()尼()園()(ルンビニーの花園)の無憂樹()(アショーカの樹())の下で4月8日に誕生されました。仏伝()では、生まれたばかりのお釈迦さまが、「天上()天下()唯我独尊()」と唱えると、龍()が天()から甘露()の雨を降らして祝福したといいます。その伝説にちなみ、はなまつりでは花()御堂()の中に誕生仏()の仏像をお祀()りし、甘茶()を潅いで()お詣()りします。法要後、本館玄関ロビーに花御堂が設置されますので、お釈迦さまの誕生仏に甘茶を潅いでご参拝ください。
み た ま ま つ り ( 盂() 蘭() 盆() 会() )
みたままつりは、今は亡()き有縁()無縁()の人々の冥福()を祈るための法要です。一般にはお盆と呼ばれていますが、正式には盂蘭盆会()と言います。盂()蘭()は梵語()オーダナ(ご飯)の口語オーランの音()写()で、盆は食事を盛る食器のことです。盂蘭盆会は、お釈迦()さまの弟子()の目連()尊者()(マウドガリヤーヤナ)が亡()き母の冥福()を祈()る方法をお釈迦さまに尋ね、夏の安居()(修行())が終わる七月十五日に仲間の修行()僧()たちに食事を供養()して、その善行()の功徳()を亡き母の冥福()のために回向()してもらった追善()供養()の故事()に由来します。法要後、本館玄関ロビーの観音堂でお焼香()できますので、有縁()無縁()の御霊()を偲()んでご自由にご参拝ください。
両() 祖() 忌()
両祖忌()は、日本の曹洞宗()の高祖()・道元()禅師()と太祖()・瑩山()禅師()の両祖()さまのご命日()を偲()ぶ法要()です。道元()禅師()は建()長()五年(1253年)8月28日に、瑩山()禅師()は正中()2年(1325年)8月15日に示寂()されましたが、どちらも太陽暦()では9月29日になるので、この日を両祖()さまのご命日()として、曹洞宗()の寺院では両祖忌()の法要()が営まれます。
達() 磨() 忌()
達磨忌()は、達磨()大師()のご命日()を偲()ぶ法要です。達磨()大師()は梵名()ボーディ・ダルマと言います。お釈迦()さまから二十八代目の祖師()で、インドから中国へと渡ってお釈迦()さまの坐禅()を伝えました。中国では禅宗()の初祖()とされ、円()覚()大師()菩提()達磨()大和尚()と称()されます。嵩山()少林寺()での面壁()九年()(九年間ひたすら壁()に面()して坐禅()を修行()したこと)の逸話()は有名です。達磨()大師()の禅()の教えは壁()観()と呼ばれ、黙々()と壁()に向かい、ただひたすら坐禅()すること、つまり理屈()を作って自己主張したり、他人の評価に振り回されたりせずに、今すべき正しいことをただ黙()って実行することが、仏道()修行()においては何よりも大事であることを示しています。
成() 道() 会()
成道会()は、お釈迦()さまが悟()った日を祝()う法要です。お釈迦さまは、仏陀伽耶()(ブッダガヤー)の菩提樹()(アシュヴァッタの樹)の下()で身心()を調()えて、12月1日から8日の明け方にかけて坐禅()を修行して仏陀()となりました。仏伝()では、お釈迦()さまは悟()った時に大地()に触()れて「我()と大地()と有情()と同時()に成道()す」と述()べたと伝わります。これはお釈迦()さまが究極()の真理()である縁起()を悟()って人生()の苦()を克服()したことを示()しています。お釈迦()さまは、その後、鹿野()苑()(サールナート)で初転()法輪()(最初()の説法())を行い、そこから仏教が始まったのでした。
涅() 槃() 会()
涅槃会()は、お釈迦()さまのご命日()を偲()ぶ法要です。涅槃()とは梵語()ニルヴァーナの音()写()で、火が吹き消された状態を意味します。そこから、煩悩()の火が消えた悟()りの状態、またはお釈迦()さまの命()の火が消えて亡()くなったことを意味するようになりました。お釈迦さまは最期()の遊行()(修行()の旅)の途中で「自帰依()法()帰依()」を説()くと、純陀()(チュンダ)の食事の供養()を受けた後、拘()稀()羅()城()(クシナガラ)の、四方()に沙羅()双樹()(二本のサーラの樹())が生()えた場所で最期()を迎()え、嘆()き悲しむ弟子()たちに「八()大人()覚()」の教えを遺()して2月15日の夜に入滅()されました。